東京高等裁判所 昭和38年(ネ)528号 判決 1965年1月30日
控訴人(被告)
秋山藤元
外一名
代理人
大滝亀代司
外一名
被控訴人(被告)
国
代表者
法務大臣・高橋等
指定代理人
河津圭一
外四名
主文
本件各控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人秋山藤元に対し金三、七六三、八五二円及び控訴人秋山たけに対し金六二〇、四五六円並びに各控訴人に対し昭和三五年二月一〇日以降完済に至るまで右各金額に対する年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文と同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張並びに証拠の関係<省略>
理由
<証拠>によると、控訴人秋山藤元は七、五九八、五〇弗及び九六〇磅の、控訴人秋山たけは一、六八六、〇七弗の各銀行預金その他の財産を、それぞれ、昭和一八年一一月帰国の際カナダ国において所有していたことが認められ、また、右財産がカナダ政府により敵産管理の措置を受け、その後日本国との平和条約第一四条(a)項2(1)によりカナダ国においてその処分権を取得するところとなり、控訴人らにおいてその返還を求めることができなくなつた事実は当事者間に争がない。
控訴人らは、右財産の喪失は平和条約において日本国が連合国に対して負担する損害賠償義務の履行に充当したためであるから、憲法第二九条第三項の規定に基づき国は控訴人らに対し補償をなすべき義務がある旨主張するので、以下にその当否を検討する。
戦争が終結するや、戦勝国が戦争遂行に伴つて蒙つた人的物的各般の損害を補填するため、その勝利者としての立場において戦敗国に対し、賠償名義の下に金銭その他の財貨を要求するのは古来よりの国際慣行ともいうべきところ、右平和条約第一四条(a)項において「日本国は戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して連合国に賠償を支払うべきこと」の原則を承認したが、一面日本国が「存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないこと」も承認され、よつて(一)日本国は日本国軍隊によりその領域が占領され、且つ日本国によつて損害を与えられた連合国が希望するときは、これらに対しいわゆる役務賠償を行うべく(同項1)(二)また各連合国はその管轄下にある日本国及び日本国民(その支配した団体を含む)の有する資産(以下在外資産と称する)を差し押え、留置し、清算し、その他何らかの方法で処分する権利を有する(同項2(1))旨を定めたのである。即ち同条(a)項全文の趣旨からすれば、日本国が承認した戦争損害の賠償義務は、右役務の提供のほか在外資産の清算処分によつて履行ずみとするにあることは文理上明かであつて、それは連合国側の右財産処分を正当化するための単なる修辞にすぎぬものと見ることはできない。元来交戦国といえども自国内にある敵国民の私有財産を恣に没収することができないとするのは、確立された国際法上の原則である故、交戦国が戦争遂行の必要上、敵国民の資産を管理し、時にこれを処分することがあつても、その管理にかかる財産又は処分された財産に変るべき代価は、戦争終結と共にこれを原所有者に返還すべきであり、相手国の承認を取り付けない限り直ちに賠償に充当することはできない筋合であると解される。従つて前記平和条約の規定から窺われるように、連合国側においては戦争によつて極度に荒廃した日本国の経済的存立と賠償支払能力を考慮し、各自国の管轄下にある日本国及び日本国民の有する資産を清算し処分して戦争損害の補填に充当する方法によつて容易且つ確実に賠償を得ることを欲し、一方日本国としても敗戦の結果無条件降服をし、連合国軍隊によつて国土を占領されており、事実上右連合国側の要求を拒否する自由を有しなかつたとはいえ、自国民の有する在外資産が賠償に充当されることを承認し、その限度で賠償義務を免れた以上、それは日本国即ち日本国民全体の負担すべき賠償義務を特定の在外資産所有者の犠牲において解決したものと見るほかはない。この場合本質的には果して戦争責任が敗戦国の側にのみ存するか否かは問わず、また各連合国の蒙つた戦争損害の数額及び在外資産の価額が明確でないとしても、平和条約により日本国が連合国に対する賠償義務を承認し、且つそれとの関連において連合国による在外資産の清算等を承認した以上、その清算等が賠償の性質を有することの妨げとなるものではない。そして右処分を行う主体は勝利者たる連合国であり、日本国はただ連合国の要求するままに異議を唱えず、これを承認したに止るにせよ、本来ならば私有財産不可侵の原則により原所有者に返還さるべき在外資産が、平和条約締結の結果賠償に充当されたことは、国が戦争損害の賠償義務履行という公共の目的のために自らこれを処分したのと結果において何ら異るところなく、従つて国はかくして在外資産を喪失せしめられた国民に対し、平和条約自体に補償条項がなくとも、国内的には憲法第二九条第三項の規定の趣旨に照らし、正当な補償をなすべき責務を有するものといわなければならない。被控訴人の主張に見られるように、これを戦時敵の焦土戦術に基づく爆撃等のため国民が蒙つた戦災等一般の戦争災害と同視し、また連合国による日本国民の資産ないし権益の侵害に対し、国として進んで適切な外交保護の手段を採らなかつた(外交保護権の放棄)に止るが故に、国に何らの補償責任がないと説くのは相当でない。
しかしながら、憲法の前記規定は、国が国民の財産権を保障し、これを公共の用に供する場合には正当な補償をなすべきであるとの一般的原則ないし方針を明かにしたに止り、直接同条により具体的な補償請求をなしうることを定めたものと解することはできない。そして在外資産に対する補償の措置を講ずる場合国の財政状態を慎重に勘案する必要のあることは勿論のこと、今次大戦中及び終戦後の困難な経済建直し時期を通じ、直接間接戦争に基因して各方面に亘り国民が蒙つた犠牲と苦痛との関係において損害負担の公平を考慮すべきことは、国民の感情の上からも当然であるから、この意味で社会政策的経済政策的配慮をも加え、納税者たる国民が真に納得し得る範囲において合理的に補償の程度、方法、手続を決定すべきであつて、それは正に法律の規定をまつべきものと考える。然るところ、現在このような補償に関する法律は制定されていないのであるから、具体的な補償請求は未だこれをなし得ないものといわざるを得ない。
従つて直接憲法第二九条第三項の規定に基づき補償請求権を有することを理由とする控訴人らの本訴請求はいずれも失当であり、当裁判所と異る見解によるとはいえ、これを棄却した原判決は結局正当に帰する。
よつて本件各控訴を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。(裁判長判事奥野利一 判事野本泰 真船孝允)